途中の鐘とは、一座のなかほどで鳴る、ただ一打のやわらかな音です。ふだんなら時計を見て確かめる時の流れをしるし、それからそっと退きます。たいていの一座に、これは要りません。けれど、これによって保たれる一座もある。どちらなのかを ― そして一打がどこに落ちるべきかを ― 見きわめるのが、こつです。

## 途中の鐘は何のためにあるのか

これは、時が過ぎたという静かな合図です。自分から問わなくてすむように、差し出される。本当の使いどころは二つ。ひとつは、さまよう心を錨へ戻すため ― 鐘が鳴り、逸れていたと気づき、戻る。叱るのではなく、ただ帰り道の戸が開くだけです。もうひとつは、一座にいくつかの部分があるときの、仕切りとして ― 二十分は呼吸、つぎの十分は慈悲の瞑想。あるいは黙って坐り、それから数分はあえて休む。ひと続きの、分けない一座であれば、途中の鐘はあってもなくてもいい。便利ではあっても、なくてはならないものではありません。

## 20分・45分・60分の一座で、どう間隔をとるか

ふさわしい間隔は、決まりではなく、長さに従います。

二十分の一座に、これはめったに要りません。ひと弧で保てるだけの短さですから、まんなかの鐘は、ようやく落ち着きかけた静まりを断ち切ってしまうこともある。もし置くなら、三分の二のところに ― 終わりが近いという、やわらかな知らせとして。

四十五分の一座は、まんなかにひとつ、二十分から二十五分あたりの鐘が活きます。心が逸れるには十分に長く、一度戻れば足りるには十分に短い。

一時間なら、二つ置いて一座を三つに分けても(二十分と四十分)、静けさの邪魔は少ないほうがよければ、半ばにひとつでも。一時間を越えても、区切りを細かくするより、やはり三分割のほうがよく働きます。

何を選ぶにせよ、その鐘は終わりの鐘と同じ声で、ただ、ねらいだけがやわらかくあるべきです ― [瞑想の鐘を選ぶ](/ja/journal/choosing-a-meditation-bell)を参照。

## いつ省くか

途中の鐘を待っている、聞き耳を立てている、それで一座をはかっている ― そう気づいたら、省いてください。どんな鐘も、その役目は時計を忘れさせることであって、一座のなかに小さな時計を据えつけることではありません。間隔のまったくない、始まりと終わりだけの一座が、いちばん澄んだ初期設定です。まんなかを足すのは、静けさがほんとうに継ぎ目を求めるほど一座が長いときだけ。zenflowは十五分ごとの間隔を決めることも、好みのプログラムを組むこともできますが、いちばんよい間隔は、しばしば「なし」です。